プライマル。


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私鎌田章吾は、2014年9月27日、5年半通った青山学院大学をついに卒業しました。


2009年4月1日。私はグレーのジャケットにオレンジのパンツという出で立ちで、生まれ育った京都を旅立ち、神奈川県相模原市の淵野辺という街で大学生活、そして一人暮らし生活をスタートさせた。
高校3年間男子校で、それもたった16人のクラスで過ごした僕にとって、100人以上が会する大学の環境には常に目眩がしそうだった。それも半分以上が女子で、標準語が飛び交っている。家に帰ると一人きり。すぐさまホームシックに陥った。
僕は毎晩Skypeで、京都の友達と話すようになった。大学1年の前半頃の自分は、音楽とアニメに癒され、SNSで想いを吐露し、Skypeで朝まで友達と話し、寝坊して学校には遅刻という、極めて内向的・内省的な毎日を過ごしていた。
夏休みは京都で自由気ままに過ごした。この頃から僕は、高校時代から憧れていたZIGGY森重さんの格好を真似するようになる。
夏休み明けの後期から、長髪に金髪、服装はいわゆるお兄系的な格好で大学に通い始める。
今となっては当時の自分の姿はネタでしかないが、この「大学後期デビュー」(?)を機に、同級生たちからも一目置かれる存在になったのではないかと思う。口を開けば「Oh yeah」「ロックンロール」。形はどうあれ、僕は大学での自分のポジションを確立し、友達にも恵まれるようになり、ようやく大学生活を始められた気がした。

2年になり、キャンパスが淵野辺から青山へ。賃貸の契約もあったので、2年が終わるまでは引っ越さず、淵野辺から渋谷まで横浜線+田園都市線で通う。
せっかく1年の後期には大学生活をエンジョイしていた僕だが、通学時間が徒歩3分から電車で1時間に激増したことを機に、また休みがちになる。更にバンド活動を本格始動したため、生活の中心がバンドに変わる。それでも渋谷へはちゃんと行くようにと、渋谷のケンタッキーでアルバイトを始めるが、結局はバイトの時間に渋谷へ行くため、状況は改善されず。むしろバイトで疲れて余計学校へ行かなくなる。ちなみにこのアルバイトを機に髪型は元通りに。

3年になると淵野辺から都内へ引越し。ようやく上京だ。3年のときは、特に何もなかったかなぁ。一学年下の友達が増える。それくらい。バイトは転々。バンドは冬に解散。この辺りから、アニソン歌手を意識し始める。

4年になった時点で、留年が確定していた。このままでは親に顔向けできない。なんとしてでも今年中にデビューを決めてやると、色んなオーディション等に飛びつくようになった。
そこでYOFFYさんと出会い、一気にデビューが近づく。
一方大学の方も大変充実しており、本来なら最終学年になるキャンパスライフ4年目を大いに満喫していた。それが原因で、「音楽のない幸せ」を意識するようにもなっていた。学園祭では、とても楽しい時間を過ごした。
その学園祭の数日後、キョウリュウジャーのオーディションの話が来た。
これは後付けでもなんでもなく、実はこれを最後のチャンスにしようと思っていた。
もしこれがダメだったら、おとなしく留年が決まったことを親に告げ、学部を変えるなり大学を変えるなりして教師を目指そう。本気でそう思っていた。
しかし結果は皆さんの知る通り。やはり僕にとっては音楽こそが、青春そのものだったのです。
大学は卒業しましたが、僕の青春はこれからも一生続いていきます。

5年目,6年目の話も聞きたい?もう疲れたからまた今度にしてw
6年目に取った囲碁の授業は最高だったな。大学生活最後にして最高の授業でした。

留年しても尚、最後まで友達に恵まれ、友達に助けられ続けた5年半でした。青学に入ってよかった。
みんなと一緒に授業を受けて、学食で飯食って、喫煙所で喋って、帰りに古着屋で服買って、のんべい横丁でウーロン茶を飲んで。いまだにお酒は飲めません。でも僕は常にシラフだったおかげで、みんなと過ごした日々を鮮明に覚えています。これ名言!

友達がいなきゃやっていけません。大学生活を振り返るたびに、本当にそう思います。

そして、物事失敗してみないと、何もわかりません。
色々やってみて、失敗して、今の自分があるのだと思います。
数えきれないほどのお金や時間を浪費して、後悔に苛まれたことも随分とありましたが、全ては仕組まれた運命なのだ、自分の運命を愛せよと、ニーチェ的に捉えることにします。大学で哲学を学んでよかった。


こんな長文書くつもりなかったので、だいぶ支離滅裂な感じになってると思いますが、ちゃんとした回顧録は、僕が本当のスターになってから、自伝でも出版して、そのときにもっともっと剥き出しの過去を話します。
その日が来るまで、これからも応援よろしくお願いします!


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by kamadashowgo | 2014-11-12 01:00 | Comments(2)
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私鎌田章吾は、2014年9月27日、5年半通った青山学院大学をついに卒業しました。


2009年4月1日。私はグレーのジャケットにオレンジのパンツという出で立ちで、生まれ育った京都を旅立ち、神奈川県相模原市の淵野辺という街で大学生活、そして一人暮らし生活をスタートさせた。
高校3年間男子校で、それもたった16人のクラスで過ごした僕にとって、100人以上が会する大学の環境には常に目眩がしそうだった。それも半分以上が女子で、標準語が飛び交っている。家に帰ると一人きり。すぐさまホームシックに陥った。
僕は毎晩Skypeで、京都の友達と話すようになった。大学1年の前半頃の自分は、音楽とアニメに癒され、SNSで想いを吐露し、Skypeで朝まで友達と話し、寝坊して学校には遅刻という、極めて内向的・内省的な毎日を過ごしていた。
夏休みは京都で自由気ままに過ごした。この頃から僕は、高校時代から憧れていたZIGGY森重さんの格好を真似するようになる。
夏休み明けの後期から、長髪に金髪、服装はいわゆるお兄系的な格好で大学に通い始める。
今となっては当時の自分の姿はネタでしかないが、この「大学後期デビュー」(?)を機に、同級生たちからも一目置かれる存在になったのではないかと思う。口を開けば「Oh yeah」「ロックンロール」。形はどうあれ、僕は大学での自分のポジションを確立し、友達にも恵まれるようになり、ようやく大学生活を始められた気がした。

2年になり、キャンパスが淵野辺から青山へ。賃貸の契約もあったので、2年が終わるまでは引っ越さず、淵野辺から渋谷まで横浜線+田園都市線で通う。
せっかく1年の後期には大学生活をエンジョイしていた僕だが、通学時間が徒歩3分から電車で1時間に激増したことを機に、また休みがちになる。更にバンド活動を本格始動したため、生活の中心がバンドに変わる。それでも渋谷へはちゃんと行くようにと、渋谷のケンタッキーでアルバイトを始めるが、結局はバイトの時間に渋谷へ行くため、状況は改善されず。むしろバイトで疲れて余計学校へ行かなくなる。ちなみにこのアルバイトを機に髪型は元通りに。

3年になると淵野辺から都内へ引越し。ようやく上京だ。3年のときは、特に何もなかったかなぁ。一学年下の友達が増える。それくらい。バイトは転々。バンドは冬に解散。この辺りから、アニソン歌手を意識し始める。

4年になった時点で、留年が確定していた。このままでは親に顔向けできない。なんとしてでも今年中にデビューを決めてやると、色んなオーディション等に飛びつくようになった。
そこでYOFFYさんと出会い、一気にデビューが近づく。
一方大学の方も大変充実しており、本来なら最終学年になるキャンパスライフ4年目を大いに満喫していた。それが原因で、「音楽のない幸せ」を意識するようにもなっていた。学園祭では、とても楽しい時間を過ごした。
その学園祭の数日後、キョウリュウジャーのオーディションの話が来た。
これは後付けでもなんでもなく、実はこれを最後のチャンスにしようと思っていた。
もしこれがダメだったら、おとなしく留年が決まったことを親に告げ、学部を変えるなり大学を変えるなりして教師を目指そう。本気でそう思っていた。
しかし結果は皆さんの知る通り。やはり僕にとっては音楽こそが、青春そのものだったのです。
大学は卒業しましたが、僕の青春はこれからも一生続いていきます。

5年目,6年目の話も聞きたい?もう疲れたからまた今度にしてw
6年目に取った囲碁の授業は最高だったな。大学生活最後にして最高の授業でした。

留年しても尚、最後まで友達に恵まれ、友達に助けられ続けた5年半でした。青学に入ってよかった。
みんなと一緒に授業を受けて、学食で飯食って、喫煙所で喋って、帰りに古着屋で服買って、のんべい横丁でウーロン茶を飲んで。いまだにお酒は飲めません。でも僕は常にシラフだったおかげで、みんなと過ごした日々を鮮明に覚えています。これ名言!

友達がいなきゃやっていけません。大学生活を振り返るたびに、本当にそう思います。

そして、物事失敗してみないと、何もわかりません。
色々やってみて、失敗して、今の自分があるのだと思います。
数えきれないほどのお金や時間を浪費して、後悔に苛まれたことも随分とありましたが、全ては仕組まれた運命なのだ、自分の運命を愛せよと、ニーチェ的に捉えることにします。大学で哲学を学んでよかった。


こんな長文書くつもりなかったので、だいぶ支離滅裂な感じになってると思いますが、ちゃんとした回顧録は、僕が本当のスターになってから、自伝でも出版して、そのときにもっともっと剥き出しの過去を話します。
その日が来るまで、これからも応援よろしくお願いします!


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2009年4月1日。私はグレーのジャケットにオレンジのパンツという出で立ちで、生まれ育った京都を旅立ち、神奈川県相模原市の淵野辺という街で大学生活、そして一人暮らし生活をスタートさせた。
高校3年間男子校で、それもたった16人のクラスで過ごした僕にとって、100人以上が会する大学の環境には常に目眩がしそうだった。それも半分以上が女子で、標準語が飛び交っている。家に帰ると一人きり。すぐさまホームシックに陥った。
僕は毎晩Skypeで、京都の友達と話すようになった。大学1年の前半頃の自分は、音楽とアニメに癒され、SNSで想いを吐露し、Skypeで朝まで友達と話し、寝坊して学校には遅刻という、極めて内向的・内省的な毎日を過ごしていた。
夏休みは京都で自由気ままに過ごした。この頃から僕は、高校時代から憧れていたZIGGY森重さんの格好を真似するようになる。
夏休み明けの後期から、長髪に金髪、服装はいわゆるお兄系的な格好で大学に通い始める。
今となっては当時の自分の姿はネタでしかないが、この「大学後期デビュー」(?)を機に、同級生たちからも一目置かれる存在になったのではないかと思う。口を開けば「Oh yeah」「ロックンロール」。形はどうあれ、僕は大学での自分のポジションを確立し、友達にも恵まれるようになり、ようやく大学生活を始められた気がした。

2年になり、キャンパスが淵野辺から青山へ。賃貸の契約もあったので、2年が終わるまでは引っ越さず、淵野辺から渋谷まで横浜線+田園都市線で通う。
せっかく1年の後期には大学生活をエンジョイしていた僕だが、通学時間が徒歩3分から電車で1時間に激増したことを機に、また休みがちになる。更にバンド活動を本格始動したため、生活の中心がバンドに変わる。それでも渋谷へはちゃんと行くようにと、渋谷のケンタッキーでアルバイトを始めるが、結局はバイトの時間に渋谷へ行くため、状況は改善されず。むしろバイトで疲れて余計学校へ行かなくなる。ちなみにこのアルバイトを機に髪型は元通りに。

3年になると淵野辺から都内へ引越し。ようやく上京だ。3年のときは、特に何もなかったかなぁ。一学年下の友達が増える。それくらい。バイトは転々。バンドは冬に解散。この辺りから、アニソン歌手を意識し始める。

4年になった時点で、留年が確定していた。このままでは親に顔向けできない。なんとしてでも今年中にデビューを決めてやると、色んなオーディション等に飛びつくようになった。
そこでYOFFYさんと出会い、一気にデビューが近づく。
一方大学の方も大変充実しており、本来なら最終学年になるキャンパスライフ4年目を大いに満喫していた。それが原因で、「音楽のない幸せ」を意識するようにもなっていた。学園祭では、とても楽しい時間を過ごした。
その学園祭の数日後、キョウリュウジャーのオーディションの話が来た。
これは後付けでもなんでもなく、実はこれを最後のチャンスにしようと思っていた。
もしこれがダメだったら、おとなしく留年が決まったことを親に告げ、学部を変えるなり大学を変えるなりして教師を目指そう。本気でそう思っていた。
しかし結果は皆さんの知る通り。やはり僕にとっては音楽こそが、青春そのものだったのです。
大学は卒業しましたが、僕の青春はこれからも一生続いていきます。

5年目,6年目の話も聞きたい?もう疲れたからまた今度にしてw
6年目に取った囲碁の授業は最高だったな。大学生活最後にして最高の授業でした。

留年しても尚、最後まで友達に恵まれ、友達に助けられ続けた5年半でした。青学に入ってよかった。
みんなと一緒に授業を受けて、学食で飯食って、喫煙所で喋って、帰りに古着屋で服買って、のんべい横丁でウーロン茶を飲んで。いまだにお酒は飲めません。でも僕は常にシラフだったおかげで、みんなと過ごした日々を鮮明に覚えています。これ名言!

友達がいなきゃやっていけません。大学生活を振り返るたびに、本当にそう思います。

そして、物事失敗してみないと、何もわかりません。
色々やってみて、失敗して、今の自分があるのだと思います。
数えきれないほどのお金や時間を浪費して、後悔に苛まれたことも随分とありましたが、全ては仕組まれた運命なのだ、自分の運命を愛せよと、ニーチェ的に捉えることにします。大学で哲学を学んでよかった。


こんな長文書くつもりなかったので、だいぶ支離滅裂な感じになってると思いますが、ちゃんとした回顧録は、僕が本当のスターになってから、自伝でも出版して、そのときにもっともっと剥き出しの過去を話します。
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2009年4月1日。私はグレーのジャケットにオレンジのパンツという出で立ちで、生まれ育った京都を旅立ち、神奈川県相模原市の淵野辺という街で大学生活、そして一人暮らし生活をスタートさせた。
高校3年間男子校で、それもたった16人のクラスで過ごした僕にとって、100人以上が会する大学の環境には常に目眩がしそうだった。それも半分以上が女子で、標準語が飛び交っている。家に帰ると一人きり。すぐさまホームシックに陥った。
僕は毎晩Skypeで、京都の友達と話すようになった。大学1年の前半頃の自分は、音楽とアニメに癒され、SNSで想いを吐露し、Skypeで朝まで友達と話し、寝坊して学校には遅刻という、極めて内向的・内省的な毎日を過ごしていた。
夏休みは京都で自由気ままに過ごした。この頃から僕は、高校時代から憧れていたZIGGY森重さんの格好を真似するようになる。
夏休み明けの後期から、長髪に金髪、服装はいわゆるお兄系的な格好で大学に通い始める。
今となっては当時の自分の姿はネタでしかないが、この「大学後期デビュー」(?)を機に、同級生たちからも一目置かれる存在になったのではないかと思う。口を開けば「Oh yeah」「ロックンロール」。形はどうあれ、僕は大学での自分のポジションを確立し、友達にも恵まれるようになり、ようやく大学生活を始められた気がした。

2年になり、キャンパスが淵野辺から青山へ。賃貸の契約もあったので、2年が終わるまでは引っ越さず、淵野辺から渋谷まで横浜線+田園都市線で通う。
せっかく1年の後期には大学生活をエンジョイしていた僕だが、通学時間が徒歩3分から電車で1時間に激増したことを機に、また休みがちになる。更にバンド活動を本格始動したため、生活の中心がバンドに変わる。それでも渋谷へはちゃんと行くようにと、渋谷のケンタッキーでアルバイトを始めるが、結局はバイトの時間に渋谷へ行くため、状況は改善されず。むしろバイトで疲れて余計学校へ行かなくなる。ちなみにこのアルバイトを機に髪型は元通りに。

3年になると淵野辺から都内へ引越し。ようやく上京だ。3年のときは、特に何もなかったかなぁ。一学年下の友達が増える。それくらい。バイトは転々。バンドは冬に解散。この辺りから、アニソン歌手を意識し始める。

4年になった時点で、留年が確定していた。このままでは親に顔向けできない。なんとしてでも今年中にデビューを決めてやると、色んなオーディション等に飛びつくようになった。
そこでYOFFYさんと出会い、一気にデビューが近づく。
一方大学の方も大変充実しており、本来なら最終学年になるキャンパスライフ4年目を大いに満喫していた。それが原因で、「音楽のない幸せ」を意識するようにもなっていた。学園祭では、とても楽しい時間を過ごした。
その学園祭の数日後、キョウリュウジャーのオーディションの話が来た。
これは後付けでもなんでもなく、実はこれを最後のチャンスにしようと思っていた。
もしこれがダメだったら、おとなしく留年が決まったことを親に告げ、学部を変えるなり大学を変えるなりして教師を目指そう。本気でそう思っていた。
しかし結果は皆さんの知る通り。やはり僕にとっては音楽こそが、青春そのものだったのです。
大学は卒業しましたが、僕の青春はこれからも一生続いていきます。

5年目,6年目の話も聞きたい?もう疲れたからまた今度にしてw
6年目に取った囲碁の授業は最高だったな。大学生活最後にして最高の授業でした。

留年しても尚、最後まで友達に恵まれ、友達に助けられ続けた5年半でした。青学に入ってよかった。
みんなと一緒に授業を受けて、学食で飯食って、喫煙所で喋って、帰りに古着屋で服買って、のんべい横丁でウーロン茶を飲んで。いまだにお酒は飲めません。でも僕は常にシラフだったおかげで、みんなと過ごした日々を鮮明に覚えています。これ名言!

友達がいなきゃやっていけません。大学生活を振り返るたびに、本当にそう思います。

そして、物事失敗してみないと、何もわかりません。
色々やってみて、失敗して、今の自分があるのだと思います。
数えきれないほどのお金や時間を浪費して、後悔に苛まれたことも随分とありましたが、全ては仕組まれた運命なのだ、自分の運命を愛せよと、ニーチェ的に捉えることにします。大学で哲学を学んでよかった。


こんな長文書くつもりなかったので、だいぶ支離滅裂な感じになってると思いますが、ちゃんとした回顧録は、僕が本当のスターになってから、自伝でも出版して、そのときにもっともっと剥き出しの過去を話します。
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2009年4月1日。私はグレーのジャケットにオレンジのパンツという出で立ちで、生まれ育った京都を旅立ち、神奈川県相模原市の淵野辺という街で大学生活、そして一人暮らし生活をスタートさせた。
高校3年間男子校で、それもたった16人のクラスで過ごした僕にとって、100人以上が会する大学の環境には常に目眩がしそうだった。それも半分以上が女子で、標準語が飛び交っている。家に帰ると一人きり。すぐさまホームシックに陥った。
僕は毎晩Skypeで、京都の友達と話すようになった。大学1年の前半頃の自分は、音楽とアニメに癒され、SNSで想いを吐露し、Skypeで朝まで友達と話し、寝坊して学校には遅刻という、極めて内向的・内省的な毎日を過ごしていた。
夏休みは京都で自由気ままに過ごした。この頃から僕は、高校時代から憧れていたZIGGY森重さんの格好を真似するようになる。
夏休み明けの後期から、長髪に金髪、服装はいわゆるお兄系的な格好で大学に通い始める。
今となっては当時の自分の姿はネタでしかないが、この「大学後期デビュー」(?)を機に、同級生たちからも一目置かれる存在になったのではないかと思う。口を開けば「Oh yeah」「ロックンロール」。形はどうあれ、僕は大学での自分のポジションを確立し、友達にも恵まれるようになり、ようやく大学生活を始められた気がした。

2年になり、キャンパスが淵野辺から青山へ。賃貸の契約もあったので、2年が終わるまでは引っ越さず、淵野辺から渋谷まで横浜線+田園都市線で通う。
せっかく1年の後期には大学生活をエンジョイしていた僕だが、通学時間が徒歩3分から電車で1時間に激増したことを機に、また休みがちになる。更にバンド活動を本格始動したため、生活の中心がバンドに変わる。それでも渋谷へはちゃんと行くようにと、渋谷のケンタッキーでアルバイトを始めるが、結局はバイトの時間に渋谷へ行くため、状況は改善されず。むしろバイトで疲れて余計学校へ行かなくなる。ちなみにこのアルバイトを機に髪型は元通りに。

3年になると淵野辺から都内へ引越し。ようやく上京だ。3年のときは、特に何もなかったかなぁ。一学年下の友達が増える。それくらい。バイトは転々。バンドは冬に解散。この辺りから、アニソン歌手を意識し始める。

4年になった時点で、留年が確定していた。このままでは親に顔向けできない。なんとしてでも今年中にデビューを決めてやると、色んなオーディション等に飛びつくようになった。
そこでYOFFYさんと出会い、一気にデビューが近づく。
一方大学の方も大変充実しており、本来なら最終学年になるキャンパスライフ4年目を大いに満喫していた。それが原因で、「音楽のない幸せ」を意識するようにもなっていた。学園祭では、とても楽しい時間を過ごした。
その学園祭の数日後、キョウリュウジャーのオーディションの話が来た。
これは後付けでもなんでもなく、実はこれを最後のチャンスにしようと思っていた。
もしこれがダメだったら、おとなしく留年が決まったことを親に告げ、学部を変えるなり大学を変えるなりして教師を目指そう。本気でそう思っていた。
しかし結果は皆さんの知る通り。やはり僕にとっては音楽こそが、青春そのものだったのです。
大学は卒業しましたが、僕の青春はこれからも一生続いていきます。

5年目,6年目の話も聞きたい?もう疲れたからまた今度にしてw
6年目に取った囲碁の授業は最高だったな。大学生活最後にして最高の授業でした。

留年しても尚、最後まで友達に恵まれ、友達に助けられ続けた5年半でした。青学に入ってよかった。
みんなと一緒に授業を受けて、学食で飯食って、喫煙所で喋って、帰りに古着屋で服買って、のんべい横丁でウーロン茶を飲んで。いまだにお酒は飲めません。でも僕は常にシラフだったおかげで、みんなと過ごした日々を鮮明に覚えています。これ名言!

友達がいなきゃやっていけません。大学生活を振り返るたびに、本当にそう思います。

そして、物事失敗してみないと、何もわかりません。
色々やってみて、失敗して、今の自分があるのだと思います。
数えきれないほどのお金や時間を浪費して、後悔に苛まれたことも随分とありましたが、全ては仕組まれた運命なのだ、自分の運命を愛せよと、ニーチェ的に捉えることにします。大学で哲学を学んでよかった。


こんな長文書くつもりなかったので、だいぶ支離滅裂な感じになってると思いますが、ちゃんとした回顧録は、僕が本当のスターになってから、自伝でも出版して、そのときにもっともっと剥き出しの過去を話します。
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